2020.10.29

  • 映画

「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」演出意図を考察してみました

主にレイアウトと映像文法方面からの考察です。ネタバレしかありません。
貼り付けているYouTubeは音が出る上に自動では止まりませんので、ほどよい所で止めつつ読み進めていただけましたら。

レイアウト上の意味付け

まず、基本的な進行方向は日本の映像文法に則って右から左(←)です。

ここから発展して、画面右側が過去として意味づけられています。
過去に思いを馳せる時などに右を向いているカットが多く見られます。

例 : エリカを見送るCH郵便社一行

「強く願えば思いは叶うものだな」←左向き。夢を掴みつつあるエリカを見ている。
「強く願っても叶わない思いはどうしたら良いのでしょう」→右向き。叶えたい思いが過去にある。

ここからさらに発展して、本作に特徴的な意味付けが下記2つです。

画面右 : 後悔の念

画面右に過去の後悔や、TV版で「燃えている」と表現していた悔恨の念を示します。

画面左 : ジルベール

ジルベールとして振る舞おうとするギルベルトは画面左に多く置かれます。
過去を切り離そうとしているからでしょう。

ここまで踏まえて例を見ていきます。

市長との挨拶

この後、会話の終盤で「かつては軍人として国をも救った」趣旨のことを言われたのを受けて。

  • 「その戦闘は同時に多くの命を奪いました。
    私もです。」
  • 「それゆえ」
  • 「私は讃えられるべき人間ではありません」

最後、ヴァイオレットが右側にレイアウトされていて過去の悔いを表しています。

船上の追憶

動画のこの後の部分です。ここが面白い。
おそらくはヴァイオレットの過去向きカットを撮るため、カメラが回り込んで行っています。(③)
更に配置は画面右。追憶に加え、ギルベルトを家族の元に帰せなかった罪の意識も表しているのでは無いかと。

ディートフリートさん、そんな感情を抱かれていることに全く気づいていないみたいですが。


  • 「また会えたら、謝りたいことも、
    それから話したいことも」

  • 「…はい」

例 : エカルテ島の教室

このシーンはカメラを意識せず、平面的なレイアウトとして見た方が良いかもしれません。
過去を封じたいギルベルトと、過去を突き付けようとするホッジンズの攻防と決裂を表していると思われます。


  • ギルベルト(※ジルベール)は画面左〜中央に留まっていて右側には出てこない

  • ホッジンズは画面中央〜右にいて左には踏み込めていない

ギルベルトの自宅

炎を見つめるギルベルトの後ろ姿、意味付けて左右に振り分けているようです。

  • 「今の君に私は必要ない」
    これはジルベールモード。
  • 「それに、君がいると思い出してしまう」
    以降はギルベルト。悔恨の念。

話は逸れますが、ここではギルベルトの後悔をヴァイオレットが理解してしまったことを思わせるマッチカットもあります。
火と雨(水)の対比が気になってしまうけれど、これはマッチカット単体ではなくシーン全体にかかっていて、
燃えている状態で閉じてしまっているギルベルトに水が届かなくて消火できない暗喩でしょうか。

最後の手紙で引っ張り出した先は海で、水に満ちているわけなのですけれど。

最後の手紙を読んだ後

兄弟の対話はディートフリート左、ギルベルト右のレイアウトで進行するのですが、手紙を読んだ後、走りだす時はギルベルトを画面左で捉えた構図に切り替わります。

  • 「行けよ」
  • 一旦画面右で受けた後、
  • 画面左で捉えた構図に切り替わってから走りだす

もしかしたら左手を見せたかった、もしくはイマジナリーライン越えの表現かもしれないのですが。
けれど、後悔を振り切ったことを表しているなら美しいなと思います。

ユリス

引っ掛かりを感じる表現がそこここに見受けられます。約束が守られないことを暗示していそうです。

  • 初回訪問の病室までが遠く感じるカット割り(→、→、←、←、さらに→に向きかえってノック。進行方向に逆行する向きが多い)
  • 飛行船が陽を遮って、外壁に大きく落ちる影(明るくなる時のフェードに比べ、境界もはっきりしていて影の印象の方が強い)
  • 噴水越し、窓越し、眼鏡越し、とヴァイオレットを歪みのある像として描くカットが複数
  • 手袋越しの指切り

けれど、単に引っ掛かりと見ていくと郵便社の鍵を開けるのに手間取ったのも?リボン落としたのも?とあれもこれも気になってきてしまって。
もう一歩何かあるんじゃないかという気もします。

手紙の最後の一文を読み上げを省略した意図

どちらかというと、一文の内容よりも読み上げを省略した意図が気になりました。

最後の手紙が風に飛ばされた後、TV版1話の手紙(というか、報告書)が飛ばされるシーンの回想につないでいます。
これに関しては、最後の手紙と最初の手紙を対比しているみて良いでしょう。

そこから更に、麻袋から引き出したヴァイオレットをギルベルトがを抱きかかえるシーンの回想につながります。
「ここが始まりだから」で済ますにはあまりに状況が似ていて、ここも対比とみなすしかありません。

何の対比か考える前に、本作で描かれた感情の伝達手段について見ていきます。

まずはもちろん手紙。
そして電話。
手紙以外の手段も肯定しています。

さらには、サムズアップ、そして指切り。
手紙どころか、言語にすら限っていません。

そうすると、言語と非言語の相反する2要素で、それぞれ最初と今との対比という見方ができそうです。

手紙の最後の一文が、思いがあふれて泣きじゃくって言葉にできない姿とニアリーイコール。
だからセリフで読み上げることはせず、非言語での感情表現に託したのではないかと。

なお、非言語の側で何を伝えたのかは絵コンテに書いてあります。
予約受付中とのこと。


ここからは考察というより主観による感想なのですが。

最後の手紙はギルベルトを後悔の念から開放するべく、ヴァイオレット自身を過去にしてもらおうとしていて。
おそらくは後悔を少しでも軽くしたくて、何を見て受け取ったのか伝えているように見えました。

少年に手紙を託すシーン、絵コンテには「横顔」とのみあったので渡す前に目を閉じる動作は作画の工程で追加されたのでしょうか。
この動作が加わったことによるキャラクター性の説得力がすごい。
ヴァイオレットは間違いなく、ここで目を閉じて一呼吸置くと思うんです。
この時、どれだけのものを手放した思いだったでしょうか。